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ちょっと前の画像
お墓参りの
ここは岳温泉

かもがすいすい

地上にも出没

こういうときはやっぱね
アウトドア担当なナナちゃんなんだよね^^

いーーーっつもここで蜂蜜とアイスクリーム買うんだけど
この時はすごくいい感じの「集い」があってね
山に入ってブドウの弦を採って来るおじさんが
編みたてのブドウのカゴバッグを見せてくれた
見せてくれたってゆうか
あたしが勝手に口をはさんだのね^^

4ミリに揃えてある蔓
葡萄のツルって2週間くらいの間しか採らないらしいよ
持てば持つほど素晴らしい艶が出て来て
そのファンは全国にたくさんいる
とくに和服に合うのでまぁそらー
着物焼き物、身上(しんしょう)つぶす
の着物はずばり、和服のこと
エルメスだービスポークだーじゃない
和のもの
焼き物も同じく
フローラーダニカだ、千夜一夜じゃない
和のやきもの
有田、備前、久谷、などなど
あとこういう台詞もある
「男が女に使う金はたかが知れてる
男が男に惚れこんで使う金は尽きることがない」
確かこれは野口英世に大金を貸した血脇守之助(ちわきもりのすけ)の言葉
借金を返したのかどうかはわからないけど
でも野口英世はアメリカに訪ねてきた血脇を
当時の合衆国大統領に紹介してるんだよね
「男に惚れるな」
言われた男も言った男もかっこいいのである

あたしは日本ミツバチの蜂蜜を買って
それからゴマと桃のアイスを食べます^^

可愛いあなこ

あなこのおちり

ピョンのキャラはたまらない~~^^
左端に見えるあなこの頭
この真ん丸さ!
こーゆー子が天空の神様に好かれないはずがないのーーーーーー

岡田奈々にそっくりなあなこ

帰宅して
手ってちょんちょんって^^

このころ実はあたしは

ディスポーザーが詰まって大変だった

長靴穿いてた
家んなかで

ハロウィンアレンジ

マー君ちゃんと

スヤスヤなみんなは
お疲れモード

アーちゃんは朝からプロモレルさん

15年前の10月
ムーのこゆびとは大きくなってて
ワンコもいなくて
遊びほうけていたあたし
遅い帰宅でベッドに入って数時間後
ピンポン♪来客

お隣のおばあちゃん
インターフォン越しに
「ちわばらちゃんのお母さんが・・・」
って言われて飛んで実家に行ったら
母が血を吐いて倒れてた

肝臓がんの手術をして8年目
再発を繰り返してて
保険の効かない治療になってから副作用も大きかった
いつか来るとは覚悟していた
静脈の破裂か?
にしては出血量が少ない
ともかく主治医に電話してそれから救急車

元々血圧の低い母で
大出血しなかったのはその血圧の低さが幸いしたのではないかとも言われた
母は
薄らいでいたけど意識はあった
救急車が来るまでの間
母の着替えを手伝い
あたしも目にコンタクトいれて髪を整えた
「なにかが始まる」
そう見据えた
覚悟ともいうかも
もう逃げられないと思った
思えば
ムーのこゆびとを産んだとき
タクシーで麻布の愛育病院から代官山の本屋前を通ったとき
やはり
「20年
逃げられない
死にたくなっても死ねない」
って思ったのと似てた

救急車が到着して担架が運ばれて
母は縁側に自力で座った
そして
見慣れた中庭を見て
あたしの名を呼んでから
「もう
私
だめね」
と言った
それから母の命は14か月あるし、
また元気に自宅に戻ってくるのだけれど
でも
それが
あたしの知ってる母の母たる最後の言葉だった
この日を境に
おむつ
拘束帯
車いす
介護認定を受けることになる

けどあたしは母の介護
やらせてもらって幸運だったと思ってる
それについてはまたの機会に✲゚。.(✿╹◡╹)ノ☆.。₀:*゚✲゚*:₀。
でいまは
ちょっと前の記事をコピるね

母の命日だった
10年だ
10年前の今日
まだ暗い朝だった
前の日に雪が降った
長いこと大学病院の個室にいたから
否応なしに慣れてしまった
慣らされてしまったところもあった
小さい時から
パパが死ぬ
ママが死ぬ
どれだけ怖かったろう
本当に現実が襲った時
川の流れに従うしかなかった
鎖に繋がれて連行される罪人みたいに
あたしたちはプロの言いなりになった
「ご臨終です」から
死化粧をして
濃紺の布がかかったストレッチャーを押しながら葬儀社の人が来る
母は動かない
泣くこともあたしはない
呆然とした頭
葬儀社の車を誘導しながら走る
助手席にはティがいる
母の介護のときによく来たお弁当屋さんが開いている
信号待ち
我が家が見えた
門を開け
あたしが車をバッグさせる
それから葬儀社の車は
門の中に入らず
そこからストレッチャーで母を乗せて押すのだ
そう
いつもみんなが遊んでるあの庭
つい一ヶ月前まで
母の車椅子を押したあの庭

すごく寒くて
母のストレッチャーを押しながら
はじめて涙が出たんだ
あぁ
生きて帰って来たかったな
この画像は随分と昔のだな^^
マーもバンビもいない時代

これは母の拘束帯
ドイツ製
高かった
賛否両論があるのは承知だ
けど
これがないと母の安全も守れず
あたしはトイレにも行かれなかった

母の名前は和子だった
亡くなる数年前
このイニシャル入りの花瓶を注文してた
届いた時
あたしと妹に
「私のお仏壇にはこの花瓶でお花を添えてね」
と真剣に言ってた
はいはい
ってあたしたちは聞いてたけど
花瓶を箱に戻すときの母の横顔は
少し笑って
少し寂しそうで
少し泣いてて
いってらっしゃいの顔だった
2年前の今日の記事に
本当のさよならはあの時言ってしまった気がする
って書いたのはそのせいだったのかも
そう
だって母が生きてる間は一度も使われなかった花瓶なのだ

色んな気持ち
分かってもらえるとは思っていない
けど
分かってくれる人がいるのも知っている
人は一度見たもの聞いたものは
本当は脳裏に焼き付いて生涯忘れられないのでは?
と思ってる
だから思う
いろーーーーーんな意味で
良いものを見て
良い言葉を聞けと
良いというのはツキがあるとかないとか
金儲けできるとか得するとかそんなレベルの話しじゃないよ^^
磨かれたもの
洗練されたもの
魂の美しいもの
なまゆきだけどねーーー
ま
こともあろうに10月だーーーー
死にたいほど人恋しい季節に突入だ~~~
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